昔の写真(トヨタソアラの思い出)
2013年 06月 21日
その前年に開催された大阪モーターショーで、「EX-8」という何とも地味な名前(笑)をつけられたコンセプトカーが、翌年これとほとんど変わらない形で発売されました。
それまでの丸い指針式アナログメーターに代わって蛍光管やLEDで表示される斬新なデジタルメーターを始め、当時の
トヨタの技術の粋を集めて作られた車でした。
圧倒的なパフォーマンスを持つグランドツーリングカーという位置付けで売り出されたソアラは、「5M-GEU」型2800cc
EFI直列6気筒DOHCエンジンをもち、最高出力は170ps/5600rpm、最大トルク24.5kg/mを叩き出し、当時のGTRやフェアレディZをも凌ぐハイパワーぶりでした。
170psという値は今ではごく平凡な値ですが、度重なる自動車排出ガス規制によって牙を抜かれ、どの社の車もパワーダウンを余儀なくされて元気がなくなっていた当時では目を見張るハイパワーでした。
太いトルクにも助けられて、アクセルを踏むと静かにしかし驚くほどの加速力で、RED表示の横棒グラフ式タコメーターが気持ちよく伸びていき、デジタル表示のスピードメーターはあっという間に最高速に近づいていきます。
車好きにはたまらない快感でした。
高回転時のクォーンというツィンカムノートにも痺れました。
それだけにブレーキもそれなりに強化され、国産車初の全輪ベンチレーティッドディスクブレーキが奢られていました。
それまで平凡な4ドア車にしか乗ったことのなかった私ですが、いつかはスポーツカーもしくはスポーティーカーに乗ってみたいと思っていました。
当時の私の一番のあこがれはジウジアーロがデザインした「いすず117クーペ」でしたが、如何せん価格がととんでもなく高く、私にとっては高根の花でしかありませんでした。
ソアラも当時としては高級車のイメージでしたので、価格もそれなりに高く当時の価格で多分300万円くらいだったと思います。
でもソアラが欲しくてたまらなくなった私は、貯金の全てを叩いて買ってしまいました(笑)
まだ子どもがいなかった当時、週末になると家内と二人でソアラに乗って近畿一円いろんなところにドライブに出かけました。
いつだったか、京都の京北町花背あたりへ入って行って道に迷ってしまい(当時はまだカーナビなどありませんでした)、車一台がやっと通れるくらいの狭いまだ雪の残る林道を時々スリップでひやっとしながら貴船口までようやくたどり着いたこともありました。
家内の手前、平気な顔を装って運転していましたが、内心はひやひやでした(笑)
夏休みには少々遠出をして、信州、鳥取、四国縦断などへ出かけましたが、運転が楽しくて長距離でも疲れなど感じませんでした。
信州旅行では、まだ全線開通していなかった北陸自動車道を米原JCから糸魚川ICまで、180km/h近くで駆け抜けたこともありました(おまわりさん、ごめんなさい:笑)
やがて、子どもが生まれてからは、さすがに2ドアクーペは使い勝手が悪く、それ以後はセドリック、クラウン、セルシオなどの所謂旦那仕様と呼ばれる大人しい4ドアセダンばかりを乗り継ぐことになりました。
それと子どもたちがある程度大きくなるまでは子育てに忙しく、ドライブに行くこともほとんどありませんでした。
現在は、マークXに大人しく乗っています。
でも、宝くじが当たったらBMWミニを駆って日本一周してみたい(爆)
1
鳥取へ旅行した時の写真です。
ボッシュのフォグランプを装備しています。
フェンダーミラーがダサく感じられて、後にドアミラーに換えました。
あと、オーバーフェンダーやリアスポイラーも付けました(どちらも単なる飾りでしたが:笑)
取り付けを頼んだ親しいGSの兄ちゃんに「中年暴走族ですね」と冷やかされたりしました(爆)
2
後ろは大山です。
現代の車と違って、直線基調のシャープなフォルムが私は好きでした。
今でも流行りの曲線を多用したデザインはあまり好きではありません。
今こうして見ても、低い車高でロングノーズショートデッキのスタイルはかっこいいと思います。
195・70HR14サイズのミシュランXVSが標準でついていましたが、すぐに205・60HR15に履き換えました。
ピカピカのアルミホイールのお蔭もあり、これでいっそうソアラの男前が上がりました(笑)
写真はノーマル時のものです。
3
信州旅行で、白馬アルプスホテル前で撮った写真です。
しかし二人とも服装ダッサイですね(笑)
4
ホテルのセントネージュ協会の前で・・・イチャツイてます(笑)
実はもっと凄い写真もあったりして・・・(爆)
5
八方尾根では風が強く、4月なのにすごく寒かったです。
おまけ
この当時に箕面の滝の前で撮った写真です(家内撮影)