堺ぶらぶら-最終回
2010年 11月 14日
種子島に伝えられた火縄銃は、日本各地で作られ始め、中でも近江国国友村(滋賀県長浜市)、和泉国堺が有名です。
その堺に唯一残る鉄砲鍛冶屋敷の井上家を訪れました。
ここは、江戸時代から続く鉄砲鍛冶井上関右衛門の居宅兼作業場兼店舗で、町家建築として最古の部類に属し、鉄砲の生産現場など鉄砲鍛冶
屋敷の面影を残す唯一のものとして市の指定有形文化財になっています。
今も居宅として利用されていますので、普段は内部は公開されていないのですが、私が行った時は年に一度(だったと思います)の公開時期に
当たっていてラッキーでした。
実は、私はこのことを知らずに、何時でも見学できるものだと思って行ったんですよ(笑)
居宅に利用されているので撮影は禁止でしたが、順番待ちの後10~20人ずつほどに区切って中に入れてもらい詳しい説明を聞くことができました。
京都の町屋などと同じく、間口が狭く奥に長い所謂「うなぎの寝床」のような屋敷でした。
鉄砲は大きく3つの部分に分かれ、銃身を作る鍛冶職人、台の部分を作る木工職人、火縄の部分を作る飾り職人、これらの職人さんたちの分業に
よって作られていたのですが、堺にはいずれもそのすぐれた職人さんたちがたくさんいたこと。
堺は貿易港で、鉄砲に必須の火薬の原料である硝石の輸入港であったこと。
堺が鉄砲作りに有利であった理由はこういうところにあったこと。
また、戦国時代~江戸時代、年間一万挺もの鉄砲が生産されていたこと。
当時の宣教師が、日本には約30万挺もの鉄砲が普及しており、容易には戦略が不可能であることを本国に報告していたこと。
など、いろいろと興味あることを教えていただきました。
屋敷の外部の撮影はできたのですが、うっかりして撮ってくるのを忘れました(笑)
というわけで、鉄砲の画像は刃物ミュージアムやサイクルセンターに展示してあったものです。
※火縄銃の実射シーンは以前にアップしたことがありますのでこちらをご覧ください。
順慶まつり(1)(2)
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銃身が造られる工程
一枚の鉄の板を捻じ曲げて筒状にし、その上からさらに鉄の帯を巻きつけていく工程がよく分かります。
この工程を経ることで、少々強力な火薬でも破裂しない銃身になったということです。
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見たことのないネジを作るのが当時の職人さんたちにとって一番の苦労だったそうです。
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刃物ミュージアムから鉄砲鍛冶屋町へ行く途中に、千利休屋敷跡や与謝野晶子生家跡などを通りました。
ここは千利休屋敷跡です。
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堺市内を走るチンチン電車
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通りで見かけた賢そうなワンちゃん
堺ぶらぶらシリーズは今回でお終いです。
長々とお付き合いいただきありがとうございましたm(__)m